Vol. 16 都会の喧騒と大気汚染につかの間のサヨナラ 週末滞在に最適の「マリオット・イスタパン・デ・ラ・サル」
メキシコシティからトルーカ方面に車で90分ほど走った場所にあるメキシコ州イスタパン・デ・ラ・サル。昔から温泉がわき出ることで知られ、保養先として人気を集めてきました。近年になって環境がより整備され、ホテル数も増加。ゴルフ場や温水プールもあり、週末になると、近場のトルーカやメキシコシティを中心に、多くの人々が訪れています。
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今年の3月にグランオープニングを迎えたホテル「マリオット・イスタパン・デ・ラ・サル」はメキシコ人資産家の所有で、1999年より「デル・レイ」という名前で運営されていましたが、世界各地にホテル展開しているマリオット系列となったことで全面的にグレードアップ。別棟に直営の本格スパ施設も加わりました。7階建てホテルの客室は計189室(うちスィート3室)。宴会場8室(最大350人収容)、テニスコート2面、スポーツジム、多目的ミニ球技場、屋外プール2つ、室内プール1つに加え、子ども向けレジャー施設が充実。広大で緑豊かな敷地を誇り、屋内外公共スペースの到る所にメキシコ各地の民芸・骨董品が展示されているので、散策も楽しめます。会社の慰安旅行、子連れ旅行、女性だけのグループ旅行、いずれもオススメです!
チビッコたちが大喜びのレジャー施設&プログラム満載! MARRIOTT KIDS CLUB
マリオット・イスタパン・デ・ラ・サルの一番のウリといえば、子どもが楽しめる施設とプログラムの数々。滑り台付きの海賊船プール、電動ミニ自動車用ゴーカート場、つり橋を備えたアスレチック場「ロビンソン・ファミリーの家」(いずれも屋外)、卓球台、ビリヤード台、大型ゲーム機等の置かれた娯楽室、雨の日も滑り台やブランコで遊べる「子どもジャングル」(いずれも屋内)など計7つのオプションが用意されています。
キッズ・クラブのサービス利用を除き全て無料(ただし保護者同伴のこと)。4歳から11歳を対象としたキッズ・クラブの申込料は250ペソ(軽食付き)。宝探しゲームやかくれんぼ、指人形劇、粘土遊び、プール遊びなど、ホテルのスタッフが趣向を凝らしたプログラムで終日(11:00~19:00)子どもたちの面倒をみてくれるので、お父さんはゴルフ(コンシェルジェで予約可)、お母さんはスパで日頃のストレス解消!なんてことが可能。特定のプログラムのみ参加の場合は、1回当たり料金50ペソ(材料費含む)。ベビーベッドの貸し出し、2歳から4歳のお子様を対象としたベビーシッター・サービスもあります。
Vol. 10 キシオ・ムラタの静かなる情熱〜終わりなき祈りのシンフォニー
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画は私の音楽だ。
だから画布の上の色は、音のように透明でなければならない。
日本における純粋抽象画の先駆けである村田簣史雄さんは、音楽家を夢見る少年だったが、親の反対や音楽とかけ離れた生活環境から、やむなく断念。そんなある日、親しい人から古い油絵道具を譲り受ける。
花やリンゴを描くうち、パレットに押し出された絵の具が、美しい色と動きを伴ったハーモニーであることを発見。白い画布上で無音のシンフォニーを奏でることに至福の喜びを見出すようになった。14歳頃の出来事である。
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より完璧なハーモニーを追い求め、どの画も決して完成に至ることはない。展覧会で発表した後も、変わらぬ情熱で作品に手を加え続けていたという。
「主人は亡くなる直前、半分意識のない状態で手だけ動かしていました。絵を描いてるつもりだったんでしょうね。普通の人はアンダーシャツの肘の部分がすり減るんでしょうけど、主人の場合はその反対側、肘の内側部分がすり減るんです。ひたすら絵を描くだけの人生でした」と美穂子夫人は語る。
日本人アーティストの代表として招かれ、この地で第一回目の個展を開いたのが1956年10月。それから50年後の今秋、シケイロス文化フォーラムで大規模な回顧展が開かれる。日本画壇に別れを告げ、当地で画家人生を昇華した村田画伯の軌跡は、日墨文化交流の歴史にほかならない。
Vol.9 日墨協会創立50周年特集
1956年7月に社団法人登録された日墨協会が、今年で半世紀を迎える。これを記念して、隔年開催の「メキシコ日系人大会」(今回で8回目。前回はバハ・カリフォルニアのエンセナダにて開催)が日墨協会の本館(日墨会館)をメイン会場に、7月27日(木)~30日(日)まで開かれる。
日墨会館は1959年に完成。日本から料理人を呼び寄せて館内1階にオープンした初の日本食レストランは、庭園の緑豊かな眺めと共に、日本の味を提供し続けている。来年はメキシコ日系人移住110周年にあたるが、1987年の移住90周年を記念して、敷地内に文化会館と茶室が加わった。かねてから、日本人にとっての心の拠り所、日本とメキシコの文化交流拠点を作りたいと願っていた日系コミュニティの人々が、日墨会館の建設に立ち上がったのは、メキシコ政府からの返還金がきっかけだった。
1941年12月7日、日本帝国海軍がハワイ真珠湾を奇襲後、米国に対して宣戦布告を行った。隣国アメリカ合衆国への連帯を表明したメキシコ政府は、敵性国となった日本公使館の資金凍結を行い、国交を断絶した。1952年4月2日、日系コミュニティ悲願の国交回復。在日公館長臨時代理として東京に派遣され、大使館の開設準備にあたったのは当時外務省の2等書記官だったノーベル文学賞作家オクタビオ・パス氏だった。
日墨協会は、松本三四郎さんが所有していたラス・アギラス地区の2万平方メートル近い農地を譲り受け、先の返還金に加え、有志からの寄付金を投入して建設に着手。日墨協会前の通りは、メキシコ人地元有力者の粋な計らいで、「フジヤマ通り」に名称変更された。
本年4月、「第4回世界水フォーラム」開会式出席のため、3度目のメキシコ訪問を行った皇太子殿下は、日墨協会に足を運び、敷地内の日系人慰霊碑に献花された後、本館での歓迎会に臨まれたが、このように日本からの要人来墨の際は、日墨会館で歓迎親睦会が開かれる慣わしとなっている。
余談だが、第二次世界大戦勃発当時、メヒカリ(バハ・カリフォルニア州)やアカコヤグア(チアパス州)周辺に数多く居住していた日本人は、メキシコ政府より、首都メキシコシティもしくはグアダラハラへの集結を命ぜられた。アカコヤグアで農園経営のかたわら、教育活動と植物研究に従事していた植物学者松田英二氏は、終戦後、UNAM(メキシコ国立自治大学)に新設された生物学部教授として活躍したが、かつての住まいに戻ることなく、当地で新たな生活を切り開いた人は少なくない。
エクトル河上会長率いる日墨協会執行部は、協会の存続と繁栄のためには、財政の健全化と施設・サービスの充実化が急務として、主力の日本語教室をはじめとするカルチャーセンター運営に力を入れることを決意。約475万ペソの予算を費やし、テニスコート奥の敷地に日墨文化センターを建設。成田右文在メキシコ大使同席のもと、7月27日にテープカットを予定している。
総面積約600平方メートル(最大収容数240名)。間仕切りを使って、10室まで分割が可能だ。日本製アニメ人気の追い風もあり、日本語教室(年間3コース開講中)は、メキシコ人学習者が年々増加。現在202名が学んでいるが、スペース不足等で新規受講者の受付を見送っている状況。新施設の誕生で、生徒数の拡大が期待されている。また、水泳、生け花、気功、武道などの既存クラスに加え、今後は盆栽、陶芸、茶道、書道、日本料理、ダンス、碁など、日本ならではの多種多様な教室を順次開講していく方針。もっか法人・個人に対し、本プロジェクトへの幅広い寄付・寄贈を募っており、協力者への感謝表明として、プレートにその名を刻んで後世に残すことにしている。
世代を重ねるごとに会員離れが進む日墨協会。創立50周年の節目は、その存在意義をゆっくり見つめ直し、新たな方向性を決める絶好の機会だ。先代が築き上げてくれた貴重な財産を最大限輝かせるべく、目指すは「KIMOCHI」の詰まった魅力ある協会づくり。「YARINAOSHI」運動の命運を握るのは、日系社会ひとりひとりの愛着心、熱意そして連携プレーにほかならない。
日墨会館の階段の壁に舞う「風神・雷神像」(写真左)は、青森出身の画家・阿部合成氏(1910~1972)の作品。作家・太宰治の親友だった同氏は、1960年代前半に2度メキシコを訪問。市場の物売りや祭りの情景、闘牛士など、メキシコをテーマにした作品を数多く生み出し、当地で2度の個展を開催した。最初の滞在では、関係者たちの好意で日墨協会の一室を提供され、寝泊まりしながら制作に打ち込んだそうだ。
人口増加対策として、榎本武揚が派遣した殖民団は、1897年5月10日、チアパス州のサン・ベニート港(現チアパス港)に上陸(監督1名以外は20代の青年。1名病死し計35名到着)。約25km離れたタパチュラで数日過ごした後、殖民協会が事前調査を経てメキシコ政府から購入していたソコヌスコ地域エスクイントラ村(アカコヤグア)の入殖地まで、さらに約100km歩き抜いた(同月19日到着)。猛暑、経験不足、資金難などの悪条件が重なり、コーヒー農園での成功を夢見た殖民地構想は3ヶ月で実質崩壊するも、かの地に残って奮闘し続けた数名が、地域に溶け込みながら農園以外にも事業を拡大。アカコヤグアの役場前公園には、移住70周年を記念して建立された榎本殖民記念碑がそびえ、その横には同地で教育と植物研究に情熱を注いだ植物学者松田英二氏の記念碑が並んでいる。
☆日系移民100周年中学校にも行ってきました!☆
日系移民100周年にあたる1997年、「アカコヤグア中学校」から「日系移民100周年中学校」へと名称変更。カルロス春日さん(P2)にお話を伺い、ぜひ見学を!と訪れたセッテン編集部は、朝礼を延長しての歓迎ぶりに赤面。ホセ・エドムンド・フエンテス校長と、同校で唯一日本語を勉強中という女生徒さんによる挨拶の後、マリンバの演奏にしばし聴き入り、職員室で朝食までごちそうになりました。生徒数は544名。メキシコシティへの修学旅行の話が評判を呼び、入学者は年々増加。再び教室不足に陥っているとか。徒歩1時間以上かけて、山奥や近隣の村から通う生徒も大勢います。
州都トゥクストラ・グティエレスに次ぐチアパス第2の都市タパチュラは、コーヒー栽培で知られ、コーヒー農園見学はイサパ遺跡とともに観光の目玉。榎本殖民団は、サン・ベニート港(現チアパス港)上陸後に同地入りしたが、ドイツ、中国からの移民者が多く、彼らは地域の経済発展に大きく貢献した。街のシンボル的建造物は、アールデコ調の旧市庁舎で、1992年より文化会館として機能。その隣に18世紀建設のサン・アグスティン教会がある。向かいの広場では、風船売りや靴磨きの男性が商いに励む中、朝から夜まで誰かしらベンチでくつろいでおり、文字通り市民の憩いの場といった様相。
「チアパス榎本協会」と名づけられた日系人協会があり、中心街から少し離れた場所に日墨文化会館がある。1997年、日系移民100周年記念に同地を訪れた秋篠宮殿下ご夫妻が定礎式に出席され、通りの名前が「秋篠宮殿下通り」に変更。「AKISHINO」の名の冠した洗車場やトルティージャ屋さんがお目見えしている。
vol. 8 教えて!MEX探検隊 チアパス をゆく。
グアテマラとの国境をなすメキシコ南部チアパス州は、隣接するオアハカ州と並んで先住民人口の最も多い州。メキシコでも有数の、緑豊かな自然に恵まれた広い大地を誇っています。
109年前、榎本武揚率いる日本人移民団が初めて入植したタパチュラはチアパス第2の都市。州都トゥクストラ・グティエレスからバスで7時間の距離にあります。色鮮やかな刺繍や織物で知られる村々が周辺に点在することもあり、観光客に人気の高いコロニアル都市サン・クリストバル・デ・ラス・カサスまでは、これまでトゥクストラ・グティエレスからバスで2時間でしたが、開通まもない高速道路と橋のお陰で、約45分に短縮されました。
ちなみに今回は、かのパレンケ遺跡の登場はおあずけ。別の機会にボナンパックやヤシュチラン等、チアパス州に存在する他の特出すべきマヤ遺跡群とともに特集を組みたいと思います。その際には、トゥクストラ・グティエレス在住で、メキシコ国立人類学歴史研究所チアパス州研究センターの考古学者、金子明さんにナビゲーター役をお願いする予定なので、お楽しみに!
●自然の偉大さにノックアウト! スミデロ峡谷の水上&地上ツアー
チアパス州の紋章に登場するスミデロ峡谷は、豊富な自然と観光資源を擁する同州の看板的存在。もうひとつの目玉はジャングルで開花したマヤ文明の栄華を伝えるパレンケ遺跡ですが、こちらは隣接のタバスコ州を拠点に日帰りで訪れる人が多いため、チアパス州の観光収入源としての役割を存分に発揮しているとはいえません。
1980年に国立公園となったスミデロ峡谷。地層年齢は1200万年以上とされ、スペイン征服時代には、奴隷化を強いられた先住民たちが、1000メートル級の断崖からグリハルバ川に身を投げたと言われています。ここ数年、ペットボトルをはじめとするゴミ問題に直面中。雨期になるとその存在が一層目立ちます。政府、市民、企業が協力して清掃作業に取り組んでいますが、解決には時間がかかりそうです。
チアパ・デ・コルソの船着場(もしくはカウァレの船着場)からボートで雄大な景観を楽しむのが観光の定番(所要時間2時間)ですが、最近脚光を浴びているのは2003年にオープンした「パルケ・エコトゥリスティコ・カニョン・デ・スミデロ」。キンタナ・ロー州で、海洋パーク「シェルハ」(リビエラ・マヤ)、「ガラフォン」(イスラ・ムヘーレス)、「シカレ」(カンクン)を運営するシカレ・グループが手がける密林の中のレジャー施設です。チアパ・デ・コルソの船着場から専用ボートで出発。大人290ペソ、子供210ペソと入場料金(送迎含む)は高めですが、プールのほか、トレッキング、マウンテンバイク、カヤック、乗馬(プール以外は要追加料金)、民族舞踊ショーなども楽しめます。山頂に設けられた数ヶ所の展望台から見下ろすパノラマも必見。トゥクストラ・グティエレスのメイン広場から遊覧バスが日に2便運行しています。
●スペイン人が建設した最古の都市 チアパ・デ・コルソ
州都トゥクストラ・グティエレスから車で約15分の距離に位置するチアパ・デ・コルソは、16世紀にスペイン征服軍がチアパスにやって来た際、最初に建設した都市。細工の施された赤レンガで作られたムデハル様式(モーロ人の影響を受けたスペインのキリスト教建築)の噴水が街のシンボル。植民地時代には、市民への生活用水供給という大役を担いました。すぐ近くにあるサント・ドミンゴ元修道院も噴水と同じく16世紀の建造物。現在は漆器博物館(スペイン語で「ムセオ・デ・ラ・ラカ」。日本製漆器も数点展示)を含めた文化施設となっています。ちなみに、取材当日は猛暑。地元っ子のまねをして、冷えた「ポソール」(カカオと茹でたトウモロコシの粒入り飲料水)でグビグビッと喉を潤しました。
●大地にぽっかり開いた鳥たちの楽園 Sima de las Cotorras
トゥクストラ・グティエレスの西方35kmに位置するオコソクアウトラに近い名所「シマ・デ・ラス・コトラス」は、日本語にすると「インコたちの深い穴」。空撮でなければフレームに納まりきれない巨大な穴(深さ140m・直径160m)の内側が密林と化し、何千という鳥たちの棲家となっています。交通の便が良くないのが難点ですが、自然の神秘としか言いようのない姿と鳥たちの威勢よすぎる鳴き声は迫力満点。早朝6時頃、鳥たちが一斉に穴から飛び立つそうです。
☆こちらもオススメ!☆
ZOOMAT チアパスに生息する動物たちと出会える場
http://www.prodigyweb.net.mx/ponce777/
トゥクストラ・グティエレス中心部(セントロ)から車で5分程のミゲル・アルバレス・デル・トロ動物園(通称ソーマット)は、チアパスに生息する多彩な動物たちを野生の環境に近い状態で一般公開。ジャガーやケツァル鳥にもお目にかかれ、併設の研究所ではこれら希少動物の保護・繁殖にも力を注いでいる。
〈開園時間〉 8:30~17;30(月曜休館)/〈入場料〉 大人20ペソ、子供10ペソ
サン・ファン・チャムラ村 San Juan Chamula
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスから10Kmの近さ。毎週土曜日に教会前の広場を埋め尽くす大規模な市が開かれ、観光客も大勢訪れる。キリスト教と先住民時代の宗教観を融合させた独自の信仰形態から、教会には特有の長椅子や祭壇がなく、床に散らばる松の葉と無数のロウソクが幻想的な雰囲気を醸し出している。
シナカンタン村 Zinacantán
サン・ファン・チャムラ村の少し先にあり、2つの村をセットで半日ツアーを催行する旅行会社が多いが、平日は閑散としている。大胆な柄の配置が特徴的な民族衣装は、ここ数年、赤よりも紫と黒を基調にしたシックなタイプが流行。サン・ファン・チャムラと同じく、最近はヒマワリやアルカトラス(カラー)など、モダンな花柄刺繍がお土産用のテーブルクロス等に多用されるようになった。
サン・アンドレス・ララインサール村 San Andrés Larrainzar
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスから山道を車で約45分。サン・ファン・チャムラやシナカンタンと比べると、観光客が少ないせいか、村全体が質素な印象は否めないが、この村の女性たちの織物と緻密な刺繍は、メキシコを代表する伝統工芸のひとつとして人気が高い。
Vol.7 GW日本公開のメキシコ映画『ダック・シーズン』フェルナンド・エインビッケ 監督特別インタビュー
●尊敬する監督は小津安二郎とジム・ジャームッシュ!
自ら脚本を手がけた長編映画デビュー作『ダック・シーズン』(原題:『テンポラダ・デ・パトス』)が、メキシコだけでなく、ロサンゼルス映画祭、カンヌ映画祭をはじめとする国際舞台でも高く評価されたフェルナンド・エインビッケ監督。大都市メキシコシティの一角に群れをなす団地の一室で繰り広げられる、4人の“ちょっとした”物語は、フェルナンド監督の優しい眼差しと、ウィットの効いた遊び心に満ちている。
「スタッフの大半にとって、初めての映画。商業的な成功を意識せず、ストーリーを大切にして、自分たちが本当に作りたいもの、誇りに思えるものを作りたかった」。メキシコ映画界が生んだ35才の新星にとって、本作の興行的な成功は想定外の喜びだったようだ。
1992年から1996年にかけて、メキシコ国立自治大学(UNAM)で映画作りを学び、数々の短編を発表。プラスティリナ・モッシュ、ジャンボ、ヘニタリカらロック、ヒップホップ系グループのミュージック・ビデオ監督としても手腕を発揮してきた。音楽をこよなく愛し、本作では主題歌として、売れっ子ナタリア・ラフォルカデに、ブラジル・ボサノヴァ界の巨匠ジョアン・ジルベルトの「O Pato」(「ガチョウ(アヒル)のサンバ」)のカヴァーを依頼したり、予想外の場面でベートーヴェンのピアノ協奏曲4番を流したり…と音楽センスの良さと守備範囲の広さを披露している。
撮影は5週間。自然光を利用し、白黒でも単調に見えないよう構図にこだわった。やんちゃな少年コンビ、フラマとモコ役のキャスティングにあたっては、「子どもらしい生き生きとした表情と振るまい」を重視。オーディション会場で数時間好きなように過ごしてもらい、その様子を観察して決めた。実際に起用したダニエル・ミランダ(フラマ)とディエゴ・カターニョ(モコ)の二人は、遊んでばかりで大人たちを困らせたそうだが、各シーンの目的等を丁寧に説明し、彼らなりに理解してもらうように心がけたことで、効果的な即興シーンがいくつか生まれるに至った。
「(撮影は)困難の連続だったけど、同時に楽しみの連続だった。一番難しかったのはボク自身、自分の恐れや不安と向き合うこと。でも、すばらしいチーム、プロデューサーやカメラマン、ボクの信頼する人たちが助けてくれた。これからも、お膳立てされた環境下ではなく、インディーズの精神で、困難でも楽しい映画づくりに取り組んでいけたら幸せだね」。
●『ダック・シーズン』で演技の楽しさに開眼!MOKO役のディエゴ・カターニョ君
ディエゴ君の一番好きな映画は、思い出の詰まった『ダック・シーズン』。『グラディエイター』や黒澤明監督の『7人の侍』もお気に入りです。音楽は70年代ロックがお好み。仲間内のパーティでDJを買って出ることもあるそうで、メキシコ人ミュージシャンでは、プラスティリナ・モッシュ、カフェ・タクバのほか、ロス・パンチョスという渋好みの一面も。
日本公開目前の『ダック・シーズン』で、“モコ”役を自然体で演じているディエゴ・カターニョ君。知人の紹介でエキストラ出演した映画『Zurdo』(2003年/カルロ・サルセス監督)のキャスティング担当者が本作のキャスティングにも加わっていたことから声がかかり、友人と一緒に遊び気分でオーディションに参加したところ、見事大役を射止める結果となりました。フェルナンド監督をはじめ、オーディションに居合わせた制作スタッフ全員を唸らせたというピュアな存在感はスクリーン上でも輝きを放っています。
3月28日(火)12時。待ち合せ場所に指定してくれたコンデサ地区のお洒落カフェに、時間ぴったりに現れたディエゴ君は、あどけなさの残るやんちゃな13歳から多感な16歳へと成長。フェルナンド監督の自由かつ柔軟な指導のもとで演技の面白さを十二分に体感したことから、プロのサッカー選手を目指し、メキシコ国立自治大学(UNAM)のPUMASのジュニアチームで練習に励む日々に別れを告げ、高校に通いながら俳優としての将来を模索中です。公開は未定ですが、すでに第2作目となる映画の撮影を終了。出席日数が足りず、高校は留年決定となったものの、今後もいい脚本に出会えたら積極的に出演したいとのこと。 『ダック・シーズン』での相棒“フラマ”役のダニエル・ミランダ君とは私生活でも意気投合。最近はなかなか会えないものの、互いに連絡を取り合う仲。二人ともリタ役のダニー・ペレア嬢に恋心を抱いていたと照れながら語ってくれました。インタビュー中、俳優仲間のヒメナ・アヤラ嬢(2001年公開の社会派映画『ペルフメ・デ・ビオレタス、ナディエ・テ・オジェ』に主演。同作はメキシコのアカデミー賞と称されるアリエル映画賞の5部門を制覇)が登場。気の会う仲間で短編フィルムを撮る計画が進んでいるそうで、メキシコ映画界の将来を担う若き才能たちの今後の活躍が楽しみです。
Vol.6 第4回世界水フォーラム開幕!
モロッコでの第1回大会(1997)以来、オランダ、日本と3年ごとに実施されてきた「世界水フォーラム」。毎回、国連の定める「世界水の日」(3月22日)を挟んで開かれます。第4回目の今年はメキシコがホスト国。「世界的課題の解決に向けた各地域の取り組み」を全体テーマに掲げ、3月16日(木)から22日(水)にかけて、メキシコシティのセントロ・バナメックス(※最終日はホテル・カミノレアル)にて開催。世界の水問題の現状把握と改善策の協議、関連プロジェクトの進捗・結果発表のほか、閣僚級会議、一般ビジター向け(無料)の展示会やイベントであるエキスポとフェアが並行開催されます。
●日本のプレゼンスが光る第4回世界水フォーラム
メキシコシティで開催される「第4回世界水フォーラム」には、日本の政府・民間団体、企業や学生ボランティアが数多く参画しています。特にホスト国を務めた2003年の第3回大会(京都、滋賀、大阪の琵琶湖・淀川流域で開催)終了後に、運営事務局の後継組織として発足したNPO法人日本水フォーラムは、アジア・太平洋地域のコーディネーターを担当。併催のエキスポ内に、日本の企業・団体の展示を集めた「日本パビリオン」を編成するための準備調整のほか、本フォーラムの5つの枠組み:1.成長と発展のための水、2.統合水資源管理の実践、3.すべての人のための水供給と衛生、4.食料と環境のための水管理、5.危機管理のうち、5番目の「危機管理」のビーコン(コーディネータ的役割を担う機関)も務めています。また、「第3回世界水フォーラム」の名誉総裁を務められた皇太子殿下、日本水フォーラム会長である橋本龍太郎元総理の参加が予定されており、注目を集めています。
●水フォーラムを陰でサポート JICA派遣の専門家 尾島 知さん
過去最高の参加者(フォーラム参加:約2万4千人、併催フェア・エキスポ訪問者:20万人)を動員した「第3回世界水フォーラム」。その運営事務局メンバーだった尾島知(さとし)さんは、メキシコでの第4回フォーラム開催決定を受け、JICA(国際協力機構)の専門家派遣プログラムを介して、2004年7月より、メキシコ政府国家水委員会(CONAGUA)内に設置された運営事務局の助っ人アドバイザーを務めています。大阪生まれの徳島育ち。当初はメキシコ人同僚たちの至極マイペースな仕事ぶりにハラハラ。準備後半に入ってからは、その目覚ましい追い上げぶりに感心する毎日を送っています。
ついに水フォーラム本番ですが、プライベートでは既に同じ会場で大舞台を経験ずみ。
昨年10月の『NHKのど自慢』メキシコ大会でJICAの仲間と息の合った「だんご3兄弟」を披露して審査員特別賞を獲得。「夜な夜な食事に訪れている『でいご』で、“だんごさん”ですよね?、と声をかけられたりしています(笑)」。
ちなみに、尾島さんはダムや河川管理の技術者。日本の独立行政法人水資源機構が本来の職場です。京都で土木工学を専攻していた学生時代、ボランティアとして子供たちの野外活動を引率する度に、自然の川の美しさに魅了され、「川と接する仕事がしたい」と強く思うようになったそうです。
●できることから始めよう。 日本の伝統「打ち水」大作戦
雨水や風呂の残り湯など「二次利用水」を使い、日時を決めて、みんなでいっせいに打ち水をする。大勢で広範囲に実践することで、このシンプルな行為が真夏の気温を下げ、電力エネルギーの節約につながる…。名づけて「打ち水大作戦」(水道水は御法度!)。
2003年の8月、電力不足の心配と深刻化する地球温暖化現象に対抗し、「都会の気温を2℃下げよう」と東京で始まった「打ち水大作戦」の輪が、日本各地で広がっています。江戸時代の庶民の暮らしの知恵が現代人の生活に取り込まれ、一般市民の環境問題に対する意識啓発や地元コミュニティ(ご近所付き合い)の活性化にも好影響を及ぼしています。
「打ち水大作戦」は、昨年開催された「愛・地球博」(愛知万博)の長久手会場と瀬戸会場でも実施され、打ち水前に35℃ほどあった気温が、打ち水後には29℃台まで減少したそうです。また、フランス留学中の日本人学生有志の呼びかけで、パリでも実現。UCHIMIZUが、エコロジーな日本の伝統文化のひとつとして、世界中で認知される日は近い!?
●古代メキシコの民が崇めた雨の神「トラロック」
メキシコの古(いにしえ)の神々の中で、ひときわ民に崇められた「雨の神トラロック」。かつての日本にも、複数の水の神様が存在しました。どんなに文明が発達しても、“恵みの雨”が降らなければ農作物は育たず、人類の存続と繁栄の道は断たれてしまいます。暮らしに真の潤いと豊かさをもたらしてくれる「水」は自然の賜物であり、まさに神頼み的なもの。時代や価値観、生活スタイルは移り変われど、「水はあらゆる生命の源」であり続けるのです。
●世界遺産ソチミルコ 日本の技術で水質改善へ
メキシコシティ南部のソチミルコは定番の観光スポット。一帯を路面電車が走り、大規模な自然公園や植木市がありますが、一番の見所は全長189kmの水路。メキシコシティの大半が湖だった時代の名残で、巨大な憲法広場のある都心部の歴史地区と共に、1987年、ユネスコの世界遺産となりました。乗り場は計10ヶ所で、観光利用が多いのはナティビータスとクエマンコの乗り場。いずれも予約なしでカラフルな屋形船をチャーターできます(原則相乗りなし)。女性の名前が付けられたカラフルな舟たちは、80年代前半まで生花で飾りつけが施されていたそうです。乗り込むと同時に、ブリキのたらいに入った大量のビールやジュース(旅の最後に精算)が自動的に運び込まれ、いざ出発。通常、男性1人が長竿を操りながら、汗をかきかき舟を進めます。4時間コースが一般的なので、まさに体力勝負。道中、小型のカヌーを漕ぎながら、花売りや盆栽売り、タコス屋、記念写真屋のほか、マリアッチ楽団やマリンバ隊も「1曲どう?」と寄ってきます。週末は、食べ物持参でのんびり過ごす家族連れ、学生グループ等で大混雑。水路が渋滞し、すれ違いざまにゴツンとぶつかり合うこともしばしばですが、そんな時は互いにビールを掲げて「サルー!」(乾杯!)。実は水質汚染に悩まされて久しく、今年、日本政府の援助で、日本の環境機器会社マリン技研が開発した化学薬品を使わない水質浄化装置を投入したばかり。汚染改善に向け、日本の高い技術力が期待されています。
Vol.5 最後の海外収録! 『NHKのど自慢 in メキシコ』に沸いた2日間
昨年の10月29日(土)、メキシコシティのセントロ・バナメックスで、「NHKのど自慢 in メキシコ」が開催されました。「のど自慢」といえば、世紀の大スター・美空ひばりさんが9歳の時に参加し、子供らしからぬ芸達者ぶりがアダになって、鐘が一つだけ鳴ったという逸話を生んだご長寿番組。日系4団体(在メキシコ日本国大使館、日墨協会、メキシコ日本商工会議所、日本メキシコ学院)が、連携プレーでNHKに誘致を働きかけた熱意が実り、待望のメキシコ大会実現となりました!
本戦と同じ特設舞台で前日に実施された予選会には、メヒカリ、マサトラン、グアナファトなど、遠方から駆けつけた人たちを含め、255組が参加。お昼から夜7時近くまで、のど自慢バンドの生演奏のもと、熱唱と珍(?)パフォーマンスが繰り広げられました。
激戦に勝ち残った26組が本戦に進出。当日会場に詰めかけた2000人以上の観客や応援団が見守る中、みな堂々たるステージを展開。メキシコと日本を接点に、かつてないほど大勢の日本人、日系人そしてメキシコの人々が世代を越えて集い、共に楽しいひと時をつくり上げた、とても素敵な歌の祭典でした。
本イベントに彩りを添えてくれたゲスト、美川憲一さんと長山洋子さんからは、番組収録後、さらに2曲ずつ歌のプレゼントが。バツグンの歌唱力と妖艶な歌声で聴き手を魅了した長山さんは、2曲目の「じょんがら女節」で津軽三味線の腕前も披露。シックな灰色の着物姿から、お得意のキラキラ衣装に着替えて再登場した美川さんは、代表曲「さそり座の女」を熱唱してくれました。終始ノリノリの観覧席に向かって、「自分のコンサートにみんなを連れて帰りたいワ」と美川さん。観客の反応の良さは、司会者や番組ディレクターをも唸らせたほどでした。ちなみに、1998年にサンパウロで第一回目が開かれて以来、毎年続いてきた海外大会は、残念ながら11回目の今回でおしまいとのこと。図らずも、メキシコの地で明るく陽気に有終の美を飾ったのでした。
祝「のど自慢」優勝!エリアス・ペレス・仲村さんを自宅に訪ねました
セッテン編集部は、『NHKのど自慢 in メキシコ』で見事栄冠を手にしたエリアス・ペレス・仲村さん(35)を祝福すべく、ご自宅兼オフィスを訪問。会計事務所を営んでいるエリアスさんは、年末ということで業務に大忙し。にもかかわらず、終始にこやかに応対していただき、いろんなお話を伺いました。
エリアスさんは、母方のおじいさんが沖縄出身の日系3世。子供の頃から歌が大好きで、ちびっ子歌唱コンクールで優勝した経験も。15歳で初めてバンドを結成し、演奏で貯めたお金で最初のバイクを買った音楽少年でした。「みんなから拍手をされるのが大好き(笑)!」とのことですが、今回『のど自慢』に出演した最大の理由は、「沖縄在住の親戚に、テレビを通して自分の元気な姿を見せたかったから」。
勝負曲に選んだのは、沖縄・石垣島出身の男性3人組BEGINの名曲「島人(しまんちゅ)ぬ宝」。弟のノエルさんが奨学生として沖縄に滞在した際、「流行っていたから」とCDを持ち帰ってくれたそうで、初めて聴いたとき、「歌詞は全くわからなかったけど、曲の感じや歌い手の表現に感動を覚えた」とか。日本語の堪能なノエルさんとその奥方にお願いして、歌詞をスペイン語に訳してもらったお陰で、より感情を込めて歌うことができたそうです。沖縄にはこれまで1995年と2001年に訪問。番組を見た親戚の人たちから、すぐに“お祝いコール”が寄せられたそうで、『のど自慢』を通して、さらに一族の絆が深まった模様。日本でのチャンピオン大会に向けての練習にも力が入ります。
Vol. 4 今年は日本が活躍!のセルバンティーノ祭に行ってきました!
かつて世界有数の銀の産地として栄えた、情緒ある石畳と地下道が魅力的な中部都市グアナファト(ユネスコ世界遺産)をメイン舞台に、10月5日から23日にかけて、第33回国際セルバンティーノ・フェスティバルが開かれました。
同芸術祭は、ラミロ・E・オソリオさん(前号にインタビュー記事を収録)が事務局長に就任した2001年より、毎年、5大陸を順番に取り上げ、その大陸に属する国々の中から「名誉招待国」を選定。その国の芸術を他国よりも重点的かつ多面的に紹介してきましたが、今年は5番目の大陸「アジア」代表として、日本に大きくスポットライトが当てられました!
在メキシコ日本国大使館・広報文化センターと国際交流基金が、アーティストの招聘とコーディネートを全面サポート、さらにTOYOTAがスポンサー協力を引き受けて実現したドリーム企画。具体的には、箏奏者・吉村七重と尺八奏者・三橋貴風の合同リサイタル(メキシコの打楽器グループ、タンブコとも歴史ある教会でジョイント演奏)、メキシコ在住バイオリニスト・黒沼ユリ子のトリオ演奏、日墨共同制作のもと、メキシコ人キャストで日本語上演された日本の古典オペラ『夕鶴』、舞踏家・笠井叡(あきら)の汗と気迫ほとばしる舞台、セリフが皆無に等しく、影と効果音、身体の動きで魅せる大阪の演劇パフォーマンス集団「維新派」の新作披露、ザ・ブームの宮沢和史率いる多国籍音楽集団Miyazawasick band、和楽器の音色を現代ポップスと融合させたフレッシュ女性3人組Rinʼ、女性リーダーのカリスマぶりが光った、躍動感あふれる和太鼓グループGOCOOのライブという多彩なプログラムを通じて、「日本の伝統と今」をアピール。メキシコ在住アーティスト、島田正治(墨画家)、太田清人、奥村浩之(ともに彫刻家)の作品展や「京都」写真展、日本近代工業デザイン展等も開催されました。
Miyazawa Sick Bandのメキシコ初公演を体感!
2005年10月16日(日) グアナファト州メキシコ
「国境を越え、あらゆる境遇の人の心に響く歌」、を求めて旅を続ける宮沢和史。結成15年を迎えたロックバンドThe Boomとしての活動にとどまらず、ソロとしても、たくさんの歌を紡いできた。そんな彼が、近年情熱を注いでいるプロジェクトのひとつが、今回セルバンティーノ芸術祭で演奏を披露したMiyazawa Sick Bandだ。日本、ブラジル、キューバ、アルゼンチン出身のアーティストたちで構成された、まさに多国籍音楽集団。それぞれの土壌で育まれた才能と感性が混ざり合い、宮沢ワールドはMiyazawa Sick Bandとして、さらなる進化とパワーを見せている。
2005年初頭に行ったヨーロッパ・ツアー(フランス、ブルガリア、ポーランド、ロシア、イギリス)に続き、今秋、ブラジル、ホンジュラス、ニカラグア、メキシコ、キューバを巡る中南米ツアーを敢行。今回のツアーでも「音楽に国境なし」を体現してみせた。
宮沢和史が、表現者として常日頃から言葉と誠実に向き合っていることは、歌詞はもちろん、彼の詩集や旅のエッセイ集などからも伝わってくるが、彼の言葉は音楽とひとつになることで、さらにその力強さを増す。ミュージシャンこそ彼の天職!
記念すべきメキシコ初公演の舞台となったAlhondiga de Granaditasの野外ステージの最前列で、「SHIMA―UTA (島唄)」を聴いた。沖縄との運命的な出会いがもたらしてくれた彼の代表曲だ。そして、この歌の世界的大ヒットが、ブラジルやアルゼンチンをはじめ、国境を越えた新たな出会いをもたらし、その出会いの輪はメキシコにまで広がった。
沖縄のしらべに乗って、彼の全身から発せられるひたむきな歌声が、平和へのメッセージが、言霊(ことだま)となってグアナファトの夜に降り注ぐ。それを浴びる観客はみな、人と人とが共鳴し合う喜びで満たされていた。割れんばかりの歓声と拍手。そしてOtra、Otra(アンコール、アンコール)」の大合唱。三味線を斜めがけしたステージ中央の宮沢和史は、日本人ロックミュージシャンとしての自信と誇りで輝いていた。彼を支える他のメンバーたちの笑顔も輝いていた。興奮と熱狂に包まれた会場。音楽はやっぱり素晴らしい! 「百聞は一見にしかず」と開き直る訳ではないが、この空気と感動を文章で伝えるのは難しく、機会があれば是非ナマで体感してもらいたい。Miyazawa Sick Bandの皆様、またメキシコのステージに帰ってきてください。
Vol.3 独立記念日
今年の独立記念日も朝から晩までビバ・メヒコ~!
毎年9月を「愛国月間」に定めているメキシコ。この時期、メキシコ全土がお祝いムードと緑・白・赤の国旗カラーに包まれ、クリスマスと正月が一緒にやって来たような気分。大小の国旗や帽子、バンダナ・・・といった愛国グッズを街角で売り歩く人々が出没し、お役所をはじめ、一般のビルやデパート、レストラン、商店などにも垂れ幕や飾りつけがお目見えします。大通りのカラフルな電飾もお楽しみのひとつ。特に首都メキシコシティのソカロ(憲法広場)のイルミネーションは、スケールが大きく見ごたえ十分です。
この愛国月間、独立記念日の前夜祭にあたる15日に最高潮を迎えます。いつにも増して愛国心を刺激されるため、メキシコ人がそのお祭り好きの本領を存分に発揮する日。夜の11時になると、全国各地のソカロで一斉に「独立の叫び」が行われます。
「独立の叫び」は、1810年、グアナファト州ドローレス村の教会でイダルゴ神父が鐘を打ち鳴らし、先住民や混血の民に武装蜂起を唱えて独立戦争の口火を切ったことに由来するもの。メキシコシティでは大統領がこの大役を務めます。国旗を胴体に巻きつけた大統領は、巨大広場に面した国立宮殿の中央バルコニーに登場。イダルゴ神父を筆頭に、
独立戦争の英雄たちの名前を叫んだ後、「ビバ・メヒコ~!」(メキシコ万歳)と連呼します。アドリブでオリジナルのフレーズを加えるのがお約束。民族衣装や仮装姿の国民が、その都度「ビバ~!」と大声で唱和します。鐘を鳴らし、国旗を振りかざす大統領も、その様子を見守る大衆も実に誇らしげ。こうした模様は各局テレビで生中継されます。
Grito de Independencia (独立の叫び)
¡Viva Hidalgo! イダルゴ万歳!
¡Viva Morelos! モレロス万歳!
¡Viva Allende! アジェンデ万歳!
¡Viva la Corregidora! コレヒドーラ万歳!
¡Viva Nuestra Libertad! 我々の自由よ万歳!
¡Viva la Unidad Nacional y la Paz! 国の団結と平和に万歳!
¡Viva Mexico! メヒコ万歳!
¡Viva Mexico! メヒコ万歳!
¡Viva Mexico! メヒコ万歳!
愛知万博メキシコ館でもビバ・メヒコ~!
6ヶ月の開催期間を経て、9月25日に閉幕となった愛知万博(愛・地球博)。最後の数週間は来場者が日に20万人を超える大盛況ぶりで、開場早々に「320分待ち」の掲示を行った企業パビリオンも。目標の1500万人を大きく上回る2205万人の来場者数を達成した21世紀最初の万博に、メキシコは単独パビリオンで参加しました。
「多様に織り成す」というテーマのもと、常設展示のほか、様々な文化行事を展開。閉
幕の近づいた9月15日には、メキシコナショナルデーと銘打ち、エキスポドームを中心に
独立記念日(9月16日)の特別イベントが行われました。ハリスコ民族舞踊団、アメリカ国際マリアッチ楽団、ベラクルスの伝統的な音楽ソン・ハロチョを世界に広め続ける、モノ・ブランコに加え、スサナ・サバレタ、エウヘニア・レオンという実力派シンガー2名を招いての祝宴。会場のあちこちでメキシコのミニ国旗が揺れ、途中で踊りだす人もチラホラ。
前夜祭に欠かせない「独立の叫び」はホセ・ルイス・ルエへ・タマルゴ環境天然資源大臣が担当。本国より一足先に「ビバ・メヒコ~!」の雄たけびが万博会場に響き渡りました。
Vol.2 ビバ!岡本太郎『明日の神話』と『太陽の塔』 メキシコと日本で生まれた二大傑作[後編]
1970年、アジア初の万国博覧会が大阪の千里丘陵で開かれた。50年代に始まった「高度成長期」の終盤に突入していた日本は、オリンピック開催国(1964年・東京)という大役を経て、4年後(メキシコ・オリンピック開催年)に資本主義国の中で第2位のGNPを達成。カラーテレビが急速に一般家庭に普及しはじめた好景気の時代で、多くの国民は、大阪万博に足を運ぶため、初めて東海道新幹線に乗り込んだ。
77カ国が参加し、6400万人の入場者を熱狂させた大阪万博のメインテーマは「人類の進歩と調和」。万博実現に向けて、当時の日本のトップ頭脳が知恵を振り絞る一方で、政府や企業が巨額の資金を投入。“高度成長期の金字塔”と呼ぶにふさわしい、光り輝く一大イベントとなった。
万博のカギとなる「テーマ館」のプロデューサーに抜擢されたのは、前衛芸術家・岡本太郎。「進歩」を短絡的に未来や科学技術の発展と結び付けてきた万国博覧会の歩みに疑問を抱いた岡本太郎は、「たとえ富や科学技術を持たない人々でも、その歴史の深さ、人間的豊かさによって、さらに誇らしい彩りをうち出せる。うち出してほしい。日本万博はそういう気配をみなぎらせるべきだ」との思いを、ほとばしる情熱と共にプロジェクトにぶつけた。
慣例に従い、他のパビリオンが最新技術やお国自慢にスポットライトを当てるなか、テーマ館では生命の歴史を体感できる異色の空間を創造。来館者は、メインゲートから入って正面に作られた「現在」のゾーン(『太陽の塔』の両脇に『青春の塔』、『母の塔』を設置)を通過し、地下に設けられた「過去―根源の世界」(胎内を思わせる迷路のような空間に、世界各国から集めた神像、仮面、生活用具などの貴重な民族資料を展示)へと向かう。その足でエスカレーターに乗って空中スペースへと上昇し、「未来」のゾーン(様々な装置、カプセルからなる未来都市への提案)を経て、再びエスカレーターで『母の塔』の懐(=「現在」)へと降り立つ演出になっていた。「現在」「過去」そして「未来」。独自に存在する3つの層が重なり合いながら循環する「マンダラ的な宇宙」を体感させることで、「すべての人の心に人間であることの幅、重み、そのすばらしさをよびさまし、強烈な『祭り』の歓びをもりあげる」ことがプロデューサー・岡本太郎の狙いだった。
テーマ館の「顔」としてだけでなく、会場内でもダントツの存在感を放っていた『太陽の塔』は、高さ70メートル。同時期にメキシコに数回渡って完成させた巨大壁画『明日の神話』(現在、日本で修復中)と対をなす岡本太郎の代表作だ。テーマ館全体を覆っていた透明な大屋根(建築家・丹下健三作)を突き破ってそびえ立ち、夜間になると黄金の顔から目玉光線を放っていた。
今春、大阪万博と同規模を誇る愛知万博(3月25日~9月25日)が幕開けとなった。メインテーマは「自然の叡智」。開催前のプロモーションとして、35年ぶりに『太陽の塔』の目玉が点灯され、話題を呼んだ。万博公園となって久しい大阪万博の跡地で、今日も両手を広げ、孤独にたたずむかつての祭りのシンボルは、時代の移り変わりと人類の行く末に何を思っているのだろうか。
創刊号 ビバ!岡本太郎『明日の神話』と『太陽の塔』 メキシコと日本で生まれた二大傑作[前編]
かつて岡本太郎がユーモアたっぷりに発したこの言葉には、メキシコに対する大いなる共感と同時に、“してやられた”という本音が込められているように思う。太郎さんの活動を全身全霊で支え続けた、秘書で養女の岡本敏子さん曰く、彼のメキシコ訪問に同行した際、何気なく立ち寄った民芸品店に、太郎さんがコスチュームデザインを手がけたSF映画『宇宙人東京に現わる』(島耕作監督/1956年)の「パイラ星人」にそっくりな、中央に目玉のついた星形のオブジェが天井からぶら下がっていて驚いたそうだ。
太郎さんが初めてメキシコの地に降り立ったのは、1963年(当時52歳)のこと。フランス、イタリア、アメリカと旅した後に足を延ばした。実はその20年以上も前、パリ留学中に友人でシューレアリズムの画家クルト・セリグマン(1900~1962/スイス生まれ)からメキシコの古代遺跡の写真を見せられ、「その圧倒的な存在感に全身の血が燃え上がる思い」を体験している。
1967年、テレビ映画『岡本太郎の探る中南米大陸』の撮影の一環として、メキシコを再訪。同年、メキシコ人実業家マヌエル・スアレス氏が来日し、メキシコシティのインスルヘンテス通りに建設中だった超高層ホテル「オテル・デ・メヒコ」の正面ロビーに飾る壁画の制作を依頼される。喜んで引き受けた太郎さんは、大阪万博テーマ館の仕事の合間をぬって、制作のため何度もメキシコに飛んだ。近年、カメラマン・岡本太郎の眼差しにも高い評価が集まっているが、メキシコ滞在中、街並みや庶民の暮らしぶりを数多く写し撮っている。
横幅30メートル、高さ5.5メートルという巨大壁画のテーマに選んだのは「原爆」。ど真ん中にガイコツを据え、その周りを炎がうねりを上げて燃え広がる。タイトルは『明日の神話』。岡本太郎がメキシコと接触し、芸術に対するメキシコの懐の深さに共鳴して生み出された大作だ。初めて下絵(原画)を目にした依頼主のスワレス氏は、「ヒロシマ・ナガサキだ!」と、その出来ばえに驚嘆して立ちすくみ、壁画を眺めながら一夜を明かしたという。岡本太郎に惚れ込み、ホテル脇に“オカモト美術館”を作ることも構想に入れていたそうだ。
しかし、完成を待たずにホテルは倒産。岡本太郎の最大にして最高傑作は、日の目を見ることなく長い間行方知らずとなる。
2003年9月、岡本敏子さんによって壁画の所在が正式に確認され、本年4月に日本へと船で移送された。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
これは岡本太郎がベストセラーとなった著書『今日の芸術』(光文社/1954年)の中で熱く語っている、芸術における根本条件。彼にとって「芸術」とは「生きること」に他ならなかったことを考えると、「うまく生きるな、きれいに生きるな、ここちよく生きるな」というメッセージにも受け取れる。同著の中に次のような言葉がある。
「『きれいさ』と『美しさ』とは本質的にちがったもので、ばあいによっては、あきらかに反対に意味づけられていることさえある。『美しさ』は、たとえば気持ちのよくない、きたないものにでも使える言葉です。みにくいものの美しさというものがある。グロテスクなもの、恐ろしいもの、不快なもの、いやったらしいものに、ぞっとする美しさというものがあります。美しいということは、厳密に言って、きれい、きたないという分類にはいらない、もっと深い意味をふくんでいるわけです。(中略)ゴッホは美しい。しかし、きれいではありません。ピカソは美しい。しかし、けっしてきれいではないのです」
ゴッホやピカソの絵と同じく、岡本太郎の心を深く揺さぶったメキシコは、形よく整えられた「きれいなもの」よりも、グロテスクでギョッとする「美しいもの」であふれた、生と死がむき出しの世界。ガイコツが陽気で親しみあるモチーフとして、日常生活に溶け込んでいる。また、岡本太郎は、メキシコの古代遺跡と日本の縄文土器とに共通の美と神秘エネルギーを見出していた。
富と貧困、建前と本音、冷静と情熱…。あらゆる対極のものが、“健康的”に表舞台で共存する、言わば「なんでもあり」のメキシコ社会。岡本太郎と同じく、世の中の固定観念や一般常識にとらわれない「遊びの達人」が大勢いて、大人になっても、無邪気な子供のように本気で遊ぶ。
彼らには理屈なんて通用しない。本能のおもむくまま、絶望さえも笑いに変えながら、瞬間、瞬間をたくましく生き抜いている。メキシコという国の、底知れぬパワーと魅力の源はここにある。
『明日の神話』再生プロジェクト 記者発表レポート
去る6月6日、東京都港区の六本木アカデミーヒルズで、巨大壁画『明日の神話』再生プロジェクトの記者発表会が開かれました。本誌セッテン編集部もメキシコから参加!
35年ぶりに、その所在が正式に確認された岡本太郎の最高傑作とあって、大勢の報道陣が集合。壁画再生に向けて結成された、有志によるプライベートな応援団「太郎の船団」(2005年現在70名)の発起人のひとりで、コピーライターの糸井重里さんを大いに感動させた、熱気あふれる記者発表会でした。
「太郎の船団」からは、ほかにも東京都写真美術館の館長で、㈱資生堂の名誉会長でもある福原義春さん、ルイヴィトンとのコラボレーションが話題を呼んだアーティスト、村上隆さん、2003年に「太陽の塔乗っ取り計画」を敢行した現代美術作家ヤノベケンジさん、2003年のNHK紅白歌合戦初出場の際、『明日の神話』をモチーフにした衣装に身を包んでステージに臨んだ女性歌手の一青窈(ひとと よう)さん、モデルでウエアリストの山口小夜子さんが出席し、太郎さんや敏子さんとの思い出話や私的エピソードを交えての応援スピーチがありました。
本年4月にメキシコを出港した壁画は、5月28日に神戸港に到着。メキシコ側との交渉の末、壁画の新しい所有者となった岡本太郎記念現代芸術振興財団(与謝野馨理事長)が、愛媛県東温市の建設会社サカワより提供された作業場にて、1年以上かけて再生作業に取り組みます。前代未聞の大仕事を任されたのは、岡本作品の修復実績が豊富な絵画修復家の吉村絵美留(えみいる)さん率いる修復チーム。修復後は、横幅30メートル、高さ5.5メートルという大作にふさわしい恒久の設置先を選び、無償で寄贈する意向です。
岡本敏子さんが語る太郎さんとメキシコ
岡本太郎さんの秘書で、後に養女となった岡本敏子さんが、本年4月20日に急逝された。亡くなる10日前に岡本太郎記念館でお話をうかがった際、毛穴のひとつひとつから、太郎さん大好きオーラがびゅんびゅんと放出されいて、まぶしかった。
太郎さんの公私にわたるパートナーとして、50年近くも人生を共にした敏子さんに、「TAROの最高傑作」と言わしめた壁画『明日の神話』が、5月末に無事メキシコから日本へと到着。6月6日の記者発表会を経て、7月中旬より修復作業が本格的に開始された。「一刻も早くみんなに見せたい」という敏子さんの生前の想いが、ようやく実を結ぼうとしている。
ここでは、敏子さんが懐かしみながら語ってくれた、太郎さんとメキシコのエピソード、壁画に関する裏話をご紹介したい。
●「壁画の制作を依頼された時、太郎さんは大阪万博のテーマ館を引き受けた直後で大忙し。会議、会議でホント大変なのよ。メキシコに行ってる暇なんてないのに、メキシコが大好きなのね。血がつながっているように思ってるの。それで、時間を空けて飛び出していく。万博協会側が羽田空港の貴賓室を取ってくれるんだけど、飛行機が出るギリギリまで建築家やプロデューサーがいて、現場事務所みたいだった。でもメキシコに着くと、タラップの下にマリアッチ楽団が待ち構えていて、ジャンジャカと演奏をはじめるの(笑)。出入国も税関も全てフリーパスで、国賓扱い。面白かったわぁ」
●「太郎さんはね、最初ガイコツから描き始めたの。私はたいがいの事には口を挟まないタチだけど、ホテルの正面なのにガイコツでいいんですか、って心配になって聞いたの。そしたら、これがパリや東京だったらダメだけど、メキシコだからいいんだ、って確信持ってましたよ。実際、向こうで描いていると、美術界の人やジャーナリスト、社交界の人たちが大勢見に来るんだけど、『何という原色!』って驚くことはあっても、ガイコツのことを口にする人は誰もいないの。彼らにとっては何ともないのね。メキシコの人はシャレてますよ」