Vol. 10 キシオ・ムラタの静かなる情熱〜終わりなき祈りのシンフォニー
![]()
画は私の音楽だ。
だから画布の上の色は、音のように透明でなければならない。
日本における純粋抽象画の先駆けである村田簣史雄さんは、音楽家を夢見る少年だったが、親の反対や音楽とかけ離れた生活環境から、やむなく断念。そんなある日、親しい人から古い油絵道具を譲り受ける。
花やリンゴを描くうち、パレットに押し出された絵の具が、美しい色と動きを伴ったハーモニーであることを発見。白い画布上で無音のシンフォニーを奏でることに至福の喜びを見出すようになった。14歳頃の出来事である。
![]()
より完璧なハーモニーを追い求め、どの画も決して完成に至ることはない。展覧会で発表した後も、変わらぬ情熱で作品に手を加え続けていたという。
「主人は亡くなる直前、半分意識のない状態で手だけ動かしていました。絵を描いてるつもりだったんでしょうね。普通の人はアンダーシャツの肘の部分がすり減るんでしょうけど、主人の場合はその反対側、肘の内側部分がすり減るんです。ひたすら絵を描くだけの人生でした」と美穂子夫人は語る。
日本人アーティストの代表として招かれ、この地で第一回目の個展を開いたのが1956年10月。それから50年後の今秋、シケイロス文化フォーラムで大規模な回顧展が開かれる。日本画壇に別れを告げ、当地で画家人生を昇華した村田画伯の軌跡は、日墨文化交流の歴史にほかならない。