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創刊号 ビバ!岡本太郎『明日の神話』と『太陽の塔』 メキシコと日本で生まれた二大傑作[前編]

かつて岡本太郎がユーモアたっぷりに発したこの言葉には、メキシコに対する大いなる共感と同時に、“してやられた”という本音が込められているように思う。太郎さんの活動を全身全霊で支え続けた、秘書で養女の岡本敏子さん曰く、彼のメキシコ訪問に同行した際、何気なく立ち寄った民芸品店に、太郎さんがコスチュームデザインを手がけたSF映画『宇宙人東京に現わる』(島耕作監督/1956年)の「パイラ星人」にそっくりな、中央に目玉のついた星形のオブジェが天井からぶら下がっていて驚いたそうだ。
太郎さんが初めてメキシコの地に降り立ったのは、1963年(当時52歳)のこと。フランス、イタリア、アメリカと旅した後に足を延ばした。実はその20年以上も前、パリ留学中に友人でシューレアリズムの画家クルト・セリグマン(1900~1962/スイス生まれ)からメキシコの古代遺跡の写真を見せられ、「その圧倒的な存在感に全身の血が燃え上がる思い」を体験している。

1967年、テレビ映画『岡本太郎の探る中南米大陸』の撮影の一環として、メキシコを再訪。同年、メキシコ人実業家マヌエル・スアレス氏が来日し、メキシコシティのインスルヘンテス通りに建設中だった超高層ホテル「オテル・デ・メヒコ」の正面ロビーに飾る壁画の制作を依頼される。喜んで引き受けた太郎さんは、大阪万博テーマ館の仕事の合間をぬって、制作のため何度もメキシコに飛んだ。近年、カメラマン・岡本太郎の眼差しにも高い評価が集まっているが、メキシコ滞在中、街並みや庶民の暮らしぶりを数多く写し撮っている。
横幅30メートル、高さ5.5メートルという巨大壁画のテーマに選んだのは「原爆」。ど真ん中にガイコツを据え、その周りを炎がうねりを上げて燃え広がる。タイトルは『明日の神話』。岡本太郎がメキシコと接触し、芸術に対するメキシコの懐の深さに共鳴して生み出された大作だ。初めて下絵(原画)を目にした依頼主のスワレス氏は、「ヒロシマ・ナガサキだ!」と、その出来ばえに驚嘆して立ちすくみ、壁画を眺めながら一夜を明かしたという。岡本太郎に惚れ込み、ホテル脇に“オカモト美術館”を作ることも構想に入れていたそうだ。
しかし、完成を待たずにホテルは倒産。岡本太郎の最大にして最高傑作は、日の目を見ることなく長い間行方知らずとなる。  
2003年9月、岡本敏子さんによって壁画の所在が正式に確認され、本年4月に日本へと船で移送された。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
これは岡本太郎がベストセラーとなった著書『今日の芸術』(光文社/1954年)の中で熱く語っている、芸術における根本条件。彼にとって「芸術」とは「生きること」に他ならなかったことを考えると、「うまく生きるな、きれいに生きるな、ここちよく生きるな」というメッセージにも受け取れる。同著の中に次のような言葉がある。
 「『きれいさ』と『美しさ』とは本質的にちがったもので、ばあいによっては、あきらかに反対に意味づけられていることさえある。『美しさ』は、たとえば気持ちのよくない、きたないものにでも使える言葉です。みにくいものの美しさというものがある。グロテスクなもの、恐ろしいもの、不快なもの、いやったらしいものに、ぞっとする美しさというものがあります。美しいということは、厳密に言って、きれい、きたないという分類にはいらない、もっと深い意味をふくんでいるわけです。(中略)ゴッホは美しい。しかし、きれいではありません。ピカソは美しい。しかし、けっしてきれいではないのです」
ゴッホやピカソの絵と同じく、岡本太郎の心を深く揺さぶったメキシコは、形よく整えられた「きれいなもの」よりも、グロテスクでギョッとする「美しいもの」であふれた、生と死がむき出しの世界。ガイコツが陽気で親しみあるモチーフとして、日常生活に溶け込んでいる。また、岡本太郎は、メキシコの古代遺跡と日本の縄文土器とに共通の美と神秘エネルギーを見出していた。
富と貧困、建前と本音、冷静と情熱…。あらゆる対極のものが、“健康的”に表舞台で共存する、言わば「なんでもあり」のメキシコ社会。岡本太郎と同じく、世の中の固定観念や一般常識にとらわれない「遊びの達人」が大勢いて、大人になっても、無邪気な子供のように本気で遊ぶ。
彼らには理屈なんて通用しない。本能のおもむくまま、絶望さえも笑いに変えながら、瞬間、瞬間をたくましく生き抜いている。メキシコという国の、底知れぬパワーと魅力の源はここにある。

『明日の神話』再生プロジェクト 記者発表レポート
去る6月6日、東京都港区の六本木アカデミーヒルズで、巨大壁画『明日の神話』再生プロジェクトの記者発表会が開かれました。本誌セッテン編集部もメキシコから参加!
 35年ぶりに、その所在が正式に確認された岡本太郎の最高傑作とあって、大勢の報道陣が集合。壁画再生に向けて結成された、有志によるプライベートな応援団「太郎の船団」(2005年現在70名)の発起人のひとりで、コピーライターの糸井重里さんを大いに感動させた、熱気あふれる記者発表会でした。
 「太郎の船団」からは、ほかにも東京都写真美術館の館長で、㈱資生堂の名誉会長でもある福原義春さん、ルイヴィトンとのコラボレーションが話題を呼んだアーティスト、村上隆さん、2003年に「太陽の塔乗っ取り計画」を敢行した現代美術作家ヤノベケンジさん、2003年のNHK紅白歌合戦初出場の際、『明日の神話』をモチーフにした衣装に身を包んでステージに臨んだ女性歌手の一青窈(ひとと よう)さん、モデルでウエアリストの山口小夜子さんが出席し、太郎さんや敏子さんとの思い出話や私的エピソードを交えての応援スピーチがありました。
本年4月にメキシコを出港した壁画は、5月28日に神戸港に到着。メキシコ側との交渉の末、壁画の新しい所有者となった岡本太郎記念現代芸術振興財団(与謝野馨理事長)が、愛媛県東温市の建設会社サカワより提供された作業場にて、1年以上かけて再生作業に取り組みます。前代未聞の大仕事を任されたのは、岡本作品の修復実績が豊富な絵画修復家の吉村絵美留(えみいる)さん率いる修復チーム。修復後は、横幅30メートル、高さ5.5メートルという大作にふさわしい恒久の設置先を選び、無償で寄贈する意向です。

岡本敏子さんが語る太郎さんとメキシコ
岡本太郎さんの秘書で、後に養女となった岡本敏子さんが、本年4月20日に急逝された。亡くなる10日前に岡本太郎記念館でお話をうかがった際、毛穴のひとつひとつから、太郎さん大好きオーラがびゅんびゅんと放出されいて、まぶしかった。
 太郎さんの公私にわたるパートナーとして、50年近くも人生を共にした敏子さんに、「TAROの最高傑作」と言わしめた壁画『明日の神話』が、5月末に無事メキシコから日本へと到着。6月6日の記者発表会を経て、7月中旬より修復作業が本格的に開始された。「一刻も早くみんなに見せたい」という敏子さんの生前の想いが、ようやく実を結ぼうとしている。
 ここでは、敏子さんが懐かしみながら語ってくれた、太郎さんとメキシコのエピソード、壁画に関する裏話をご紹介したい。
●「壁画の制作を依頼された時、太郎さんは大阪万博のテーマ館を引き受けた直後で大忙し。会議、会議でホント大変なのよ。メキシコに行ってる暇なんてないのに、メキシコが大好きなのね。血がつながっているように思ってるの。それで、時間を空けて飛び出していく。万博協会側が羽田空港の貴賓室を取ってくれるんだけど、飛行機が出るギリギリまで建築家やプロデューサーがいて、現場事務所みたいだった。でもメキシコに着くと、タラップの下にマリアッチ楽団が待ち構えていて、ジャンジャカと演奏をはじめるの(笑)。出入国も税関も全てフリーパスで、国賓扱い。面白かったわぁ」
●「太郎さんはね、最初ガイコツから描き始めたの。私はたいがいの事には口を挟まないタチだけど、ホテルの正面なのにガイコツでいいんですか、って心配になって聞いたの。そしたら、これがパリや東京だったらダメだけど、メキシコだからいいんだ、って確信持ってましたよ。実際、向こうで描いていると、美術界の人やジャーナリスト、社交界の人たちが大勢見に来るんだけど、『何という原色!』って驚くことはあっても、ガイコツのことを口にする人は誰もいないの。彼らにとっては何ともないのね。メキシコの人はシャレてますよ」

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